新潟県糸魚川市で昨年12月に発生した、大火災。
そう、強い南風に煽られ、
350年以上続いた新潟最古の酒蔵を始め、
200年近い歴史を誇る老舗の割烹、
魯山人や美空ひばりも宿泊した有名旅館など147棟を焼失、
鎮火に30時間を要したというあの大火事で、
火の付いたコンロに中華鍋をかけたまま外出するという、
うっかりでは済まされない大失態をやらかした、
火元のラーメン店のオヤジ(73)が昨日、
業務上失火等罪で書類送検された。
この失念が「過失」と見做された場合は、
禁固3年以下または150万円以下の罰金で済むが、
「重過失」だと、損害賠償の責任を負わされる可能性も出てくる。
ま、全財産叩いたとしても、恐らく焼け石に水だろうが…。
Today's BGM
哀しいくらい(オフコース)
どんなときも。(加藤いづみ)
さて、我が天草・本渡でも、
町の中心部で全焼98戸、半焼5戸という、
被災世帯103戸、死者1名を数える、
未曽有の大火が1964(昭和39)年10月25日の未明に発生。
当時、熊本市内は出水町に住んでいた小生は生憎、
その状況をテレビでしか見れなかったのだが、
翌65年には焼け跡に立ち、9歳にして凄く愕然としたことを、
半世紀以上経った今でもハッキリと覚えている。
因みに、本渡の大火の火元は、
責任を負わせない配慮からか表向き、不明。
復興後、銀天街に新装オープンした松下酒店、江崎家具店、
玉田家具店、川口パン店、マサヤ(以上同級生の家)、
熊相、ビギン、ボンジュール、わかば、教文社、水田文栄堂、
そのだ金物店、本渡レコード、木山薬局、鈴屋等々は全て姿を消し、
今や正しくシャッター商店街。
夕方以降、火の気は疎か、人っ子一人歩いていない。
2 件のコメント:
懐かしい...
実家の名前を久しぶりに聞きました。
浜魚屋もありますよ。
本渡の大火は向かいの商店街をすべて焼け野原にしました。
銀天街は私の自転車の練習場で
(小学校高学年まで乗れませんでした)
本渡の夜市は遊び場でした。
ああ、古き良き時代(笑)
ルルの母さんさん、
そう言えば現在のアーケードの西側(浜魚屋側)しか、
燃えなかったんですね。
撞球場とか丸三とか交易市場とかも全て灰。
でも、以来50数年間に亘り、
この近辺では一度も出火していないとのこと。
流石だと思います。
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