9/22/2020

やはり、持つべきは友の巻



文春野球コラムに、
改めて「親父、すげえな」って思ったという記事が載っていた。
2008年1月に56歳の若さで他界した、
元大洋で元プロ野球解説者、
加藤博一氏とそのご子息との物語を記したものだ。

と言っても、博一氏は今から30年も前に野球を辞めているので、
「現役時代よりも、引退後のひょうきんな顔の方が印象に残っている」
と仰る方の方が多いかも知れない。
しかしこの人、佐賀・多久工からドラフト外ながら72年、
素質を見込まれて入団した西鉄では二軍の首位打者1回と、
あまりパッとしなかったものの、
76年からの阪神時代には、
二軍の盗塁王を2度達成するなど俊足に磨きを掛け、
広島の高橋慶彦と盗塁王争いを演じ、
阪神とはひと悶着あったあの江川からは、
プロ入り初を含む計3本のホームランを放ち、
さらに83年の横浜大洋移籍後には、
高木豊・屋舗要と有名な「スーパーカー・トリオ」を結成、
3人で148盗塁を記録するなどした、もの凄い選手なのだ。
Today's BGM
祭りのあと(桑田佳祐)
Hello, My Friend(松任谷由実)
Goodbye Yellow Brick Road(Elton John)


さて、小生が博一氏について語るのは確か今回が2度目。
実は博一氏の奥さん(超美人)が拙宅の鬼嫁と高校の同級生で、
熊本・尚絅高校時代にはバドミントンのダブルスを組んだ仲。
もちろん彼女には我々の結婚式にも天草まで来て貰ったし、
博多・日航ホテルで行われた博一さんとの披露宴には鬼嫁が出向き、
真弓や掛布選手らによる直筆の寄せ書きを貰って来た。
上のマーカーは博一さんの他界後、
未亡人となった奥さん・晴代ちゃんから「良かったら使って」と、
記念に戴いたものだ。
(キャディバッグの未使用トラベルカバーもある)

さらに先日、山梨までちょいとブドウ狩りに行ってきたのでと、
晴代ちゃんからご覧の通り天草では未だかつて見たことも無いような、
巨峰クラスの超大粒シャインマスカット(1房)が届き、
2人で食べてしまうのはあまりに勿体なかったので、
娘や孫らときっちり分けて美味しく戴いたばかり。
やはり持つべきは友なのだ。

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