
キリシタンの里崎津、白鶴浜・妙見ケ浜(何れも天草市)とともに、
「日本の渚百選」に挙げられている宇土半島北岸の御輿来海岸。
その昔、景行天皇が九州遠征の際、
美しい海岸線が天皇の目に留まり、しばし御輿を駐め見入られた、
という伝説からその名がついたとされている。
この地の魅力は何と言っても干潮時の干潟に出現する、
ご覧の通りの美しい砂紋。
これは有明海が干満差日本一であることも、
要件として深く関わっているに違いないが、
風と波とが織りなす、
これ程までに見事な自然の造形美は非常に稀な現象で、
特に夕陽とタイミングが重なる日(年間十数日)には、
国内外から多くの(プロ・アマ)カメラマンが、
僅かなシャッターチャンスを求めて同地を訪れるのだとか。
(今日から大潮。干潮・日没の時間は、こちら)
Today's BGM
春夏秋冬(スガシカオ)
輝く月のように(Superfly)
上を向いて歩こう(近藤房之助)

さて、上の画像は地元の網田(おうだ)漁協組合員が、
御輿来海岸付近で採った風味豊かな海苔を、
旨味のある植物油でカラッと軽く揚げた、その名も「おこしき のり天」。
道の駅・海の駅「宇土マリーナおこしき館」にて、
100g入を税込350両で販売しているので、
まだ一度も食べたことが無いと仰る方は、話のタネに是非。
(広島の業者が製造しており、塩分は控え目。79点)
因みに、のり天の袋にあしらわれている「うとん行長しゃん」は、
言うまでも無く天正年間に肥後の南半国、
宇土・益城・八代三郡の二十余万石を治めた戦国大名、
小西行長をモチーフにした宇土のゆるキャラ。
彼はアウグスティヌスの洗礼名を持つキリシタン大名であったため、
宇土城普請の命に従わなかった天草五人衆、
即ち志岐・天草・大矢野・上津浦・栖本の各氏とは本来、
穏便に済ませたかったものの、
加藤清正の強行介入の所為で已むを得ずこれを平定。
後の関が原では西軍に付き、切腹の沙汰を信仰上、
受け入れなかったために徳川方より斬首された。
天草四郎は彼の次男の子(つまり孫)、との噂がある。

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