昨日、葬儀に参列。
この手で棺を担ぎ霊柩車も間近で見送った。
と言っても東京・港区増上寺における、
安倍ちゃんとの永遠の別れでは無く、
熊本市は南区・ファミーユはませんホールで営まれた、
我が義弟の家族葬(参列者5名)。
奇しくも安倍ちゃんと同じ日に荼毘に付されることになり、
記憶に残る葬儀と相成ってしまったが、
当然のことながら少しも嬉しい訳では無い。
享年65歳。
義弟は生まれつき染色体が他人より1本多く(所謂ダウン症)、
性格は凄く温厚柔和だったものの、
体の症状は比較的重い方の部類だったらしく、
当時の医療技術では「恐らく持って10年」と言われていたそうな。
夏をあきらめて(サザンオールスターズ)
Today's BGM
明日への手紙(手嶌葵)
We're All Alone(Boz Scaggs)
ダウン症は「下がる」の意味では無く、発見者ダウン医師の名から
結果、心臓にペースメーカーを埋め込むなどして、
当初の予想より遥かに長く生きられはしたが、
長けりゃいいってモンでは無論なく、
人生の大半を障害者施設か病院で送り、
実家に帰るのは盆・正月の数日のみと、
同い年ながら好き勝手に生きてきた小生とは、
正に大違いの恐らく超不遇な人生。
しかも、最後の数か月は病院のベッドに縛り付けられていたらしく、
彼と顔を会わせたのも通算10回程度、
最後の最後に「冥福を祈る」しか無かった小生には、
非常にやるせない思いがこみ上げてきたんだが、
棺に花を手向ける際、一番上・80になる義姉の、
「もう痛か目に遭わんちゃヨカけんね。ゆっくり休みなっせ」
の言葉に半分救われたような気がした。
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義弟を載せた霊柩車も、これほど長くは無かったが同型。
宮型タイプは最近、中古車がモンゴル辺りに輸出されているらしい
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